性が身近だった江戸時代のエロ文化、風俗の実態についてまとめています。

江戸時代のエロ文化

江戸時代を題材にした時代劇で、度々エロを連想させるシーンが描かれているように、江戸時代の日本もエロ文化が浸透していました。

 

有名な「48手」も江戸時代に作られていたといわれ、江戸時代の時点でSEXは子供を作るための目的だけではなく、性欲を満たす国民の娯楽として認識されていました。

 

現代のような動画はもちろん、写真すらなかった江戸時代では、春画(エロを題材にした浮世絵)が現代でいうエロ本に近い存在として、男性から重宝されていました。

 

 

江戸時代からエロ先進国だった?

江戸時代の花魁のイメージ

黒船来航で知られるペリーは、帰国後に自国へ提出した報告書で、日本人は礼儀正しく控え目な性格であると紹介した一方で、淫らな性生活を指摘されていました。

 

公衆浴場では当たり前のように混浴で男女がお互いの露出をしている様子や、淫乱な絵(春画)に対して激しく否定されています。

 

今でこそ水着なしの混浴温泉は絶滅していますが、江戸時代は若い女性でも混浴温泉で自分の身体を男性に見せていたのです。

 

エロや裸にオープンだった要因の一つが、現代に比べてプライバシーを守る環境がなかったことです。

 

壁が薄い住宅では、家の中の声が外に漏れることは当たり前で、SEXの喘ぎ声を近隣に聞かれることへの抵抗が薄かったと言われています。

 

その気になればSEX、入浴、着替えなどを覗ける場面も多く、現代に比べて性にオープンな環境がありました。

 

 

江戸時代の風俗

江戸時代の太夫のイメージ

裸を見せる行為は現代よりオープンでしたが、性的なサービスはあったのでしょうか?
江戸時代には以下の種類の風俗がありました。

 

  • 花魁、太夫 … 超高級風俗
  • 局見世 … 庶民が奮発して楽しめるソープ
  • 夜鷹 … 立ちんぼスタイルの売春婦
  • 意和戸 … ストリップ

 

江戸時代は本番禁止の概念がなかったので、性的サービスは基本的にSEX(本番)です。

 

フェラが普及したのはここ最近のことで、江戸時代は前戯をほとんど行わずに挿入だけする性的サービスが主流でした。

 

例外として、現代で言うストリップにあたる意和戸だけは、おさわり禁止の見せるだけのルールの中で、大きな賑わいを見せていました。

 

江戸時代は見て楽しめるコンテンツが春画しかないため、女性の身体を見てムラムラするには意和戸しかありませんでした。

 

混浴風呂が当たり前の時代に意和戸が賑わっていたことを考えると、大衆の場で女性の身体をまじまじ見るのはNGだったのかもしれませんね。

 

江戸時代の風俗文化は、規制を受けて形と名称を変えながらも現代に繋がっている一方で、当時人気が高かったストリップ(意和戸)は、エロ本、AV(エロ動画)、ライブチャットの普及によって衰退しています。

 

 

ちなみに、江戸時代はコンドームや性病検査がない中で本番行為が当たり前のように行われていたので性病が流行していました。

 

海外から広まったエイズ(HIV)はほとんど見られなかったものの、現代でも性病の定番である梅毒は、成人男性の3人に1人が感染していたと言われています。

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